WOOD BACK

三菱ジープ最終生産記念誌
発刊に寄せて




 今の世の中、全てが目まぐるしいが、自動車の世界も然り、ニューモデルが出たと思えば、何年も経たぬうちに代が替ってしまう。ひとつのモデルがせいぜい5、6年でしょうか。常に新しい物をという市場のニーズや競争が、その根底にあるのでしょう。

 さて、三菱ジープが46年間に及ぶ生産に終止符を打ちました。来るべき時が来た、というのが素直な感想です。与えられた少ないスペースでジープの事を書くのは、とても無理な注文ですが、思いつくままに進めることに致します。

 三菱がジープの生産を始めた頃、正確には1952年(昭和27年)ですが、終戦後7年が過ぎ、復興に日本中が懸命に働いていた頃です。

 今ではちょっと信じられない事ですが、ジープの生産が始まったこの年、対日講和条約というのが発効されて、米軍による占領体制が終わり、独立したひとつの国家として歩き出すまでは、自動車の製造の制限や外車の輸入販売制度があり、自由に車を買える環境ではなかったのです。色々な規制が廃止されると共に、見た事もないような外車が続々と入ってきました。同時に、日本のメーカーも先を競って外国メーカーと技術提携を結んで生産を始めた記念すべき年なのです。ちなみに三菱自動車(当時は新三菱重工業といいました)は、ウイリス・オーバーランド社とジープの契約を、いすゝ゛自動車はイギリスのルーツ・モーターとヒルマン・ミンクスで、日産自動車はオースチン・モーターとオースチンA-40サマーセットで、また日野自動車(当時は日野ヂーゼル工業でした)は、フランスの国営ルノー工場とルノー4CVの製造をという具合にです。ですから、この年こそ、日本のモータリゼーションの幕開けとなった年というべきではないでしょうか。

 こうした時代背景のもと、三菱ジープは誕生し、多くは現在の自衛隊の前身である、警察予備隊へ納入されましたが、民生用としても供給されました。戦後復興期にあって、ジープは文字通り大活躍でした。万能車という名にウソはありません。パトロール・カー、消防車、無線車、クレーン車、発電車といった特殊用途車から、農業用、商業用と、実に様々なユーザー達の要望に応えたのです。一説によりますと、その利用法は1,000種類を超えるといいます。正しく万能車としての面目躍如たるものがありますね。

 子供から大人達まで、ジープを見ると、その頑強さや機動性がとても頼もしく映り、見ているだけで嬉しくなってしまう、ジープはみんなの憧れの車でした。

 その頃から今に至るまで、ジープのオモチャが子供達の根強い人気商品という事実からも、ジープには何かしら人の心を動かす力が秘められているような気がします。それは、必要にして充分なという思想のもと、一切の無駄を排除したデザインが私達に語りかける機能美です。事実ジープには、こんな物はいらないという所はありません。又、ひとつひとつの部品に至るまで、実に良く考えられた設計がされています。

 このジープを三菱自動車は1952年以来、基本設計はそのままに、46年間という長い歳月に亘って熟成を重ねてきました。これは前述のように目まぐるしく変る時代には、奇跡としかいいようのない事です。

 46年間もの間、ひとつの車型が大事に生産され、又その車を買って使う人達がいる。他には見ることの出来ない事です。このことは、ひとり三菱自動車が誇りうることではなく、私達日本人の誇りであると言えます。

 このジープがもう生産されないということは、少し淋しくもありますが、ジープに限って言えば、現れては消えていった多くの車達と違って、生産されない=消滅ではありません。自動車っていうのは、ホントはこれで充分じゃないか、とでも言いたげに、黙々と作ってきた三菱自動車には敬服してしまいます。幸いにして、このJ55最終生産記念車を手に入れられた方々には、どうかこの素晴らしい車を、誇りを持って大事にお使い頂きたいと存じます。

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